「はたらく」がもつ意味

「はたらく」および「仕事」は難解だ。

 

日々の少なくない時間を占め、

生活=命に直結し、

社会的な居場所(人間関係)にもなる。

ついでに自分の素質と活かすものが多い。

 

ほぼライフ。

 

難解だ。

要求が多すぎる。

 

仕事なんかどうでも良いというひとはどういうひとだろう?

そもそも生活コストが低くて、人間関係も自分の役割も他で満たされていて、あるいは何にもよくのない淡々とした人?

 

 

例えば、家。

駅近か、築浅か、外観、内観。

全部こだわってると高い。高いということは維持する体力がいる。

より仕事を頑張ることとつながる。

 

あるいはどれかを諦める。

 

結局、人生で何を大事にするかで家も仕事も持ち物も人間関係も変わる。

 

私は、95%を占める日常を大切にする。

パートナー一人、友人一人、ギターと自転車とアート一つずつ。

自分で選んだ町と好きなように飾っている家。

掃除をして、料理をして、遊んで、創作物をつくって、人に会いに行って

またそれをシェアする。

ひたすらこの繰り返し。ごくたまに旅。

しょっちゅう断捨離や模様替え、新たなチャレンジをして日常の景色そのものを変えている。

たくさん知り合うけどケアし合うのは少数のまま。

 

そんな私に必要なのは、

今の家に住んで料理を好きなようにして着飾りたいように着飾り、

友人とパートナーに会いに行き、新しい経験投資をする資金。

 

あとは今ない、自分たちの考えたいことを考える仲間。

 

全部なのか?欲張りなのか?

維持する体力は必要ない。

最低限の維持費と、経験投資。この経験投資はお金のかかるものだったけど、これを仕事で代替してお金を稼げば良い

 

仲間も、雇用しようと思うとお金がかかるし、

一緒に働こうと思うと色々ややこしいけど、それでも一緒に稼ぐのもあるし、一緒には働かない、というのもある。

 

仕事仲間は私にとって数少ないメンテ対象に入るのだろうか?

答えは、一人だけ必要で、あとは常に移り変わる仲間で良い。

心地よくSNSでつながってるだけでもいい。

挑戦する、ゆるふわ仲間

 

今いる友人がすでにそうなのかもしれないし、最近新しく会ったひとたちがそうなのかもしれない。

 

 

私は明らかに昔のはたらいた経験がトラウマになっている。

でも楽しく働いていた時代があったのも事実。

 

トラウマ系を避けて、少しずつリハビリしていきたい。

 

その先に、費用を投じなくてもがんがん経験投資できる未来や、

最近知り合った好きそうなひとたちとまた集まる機会が欲しい。

たくさん散らばっているひとたちと、堂々とでなくていいから自己紹介がしたい。

 

うまくいってなくても挑戦を続けている人でありたい。

そういう人と仲間でありたい。