キャラ変をするときのちゃぶ台返し

最近友人とキャラ変について話をしている。

 

人生のある地点で何かを大幅に変えようとするとき、

(例えば住む地域、家族、仕事の形態、性別、なんでもかんでも)

それは本人にとってちゃぶ台をひっくり返すような行為なのだ。

 

元の状態が世間でいう”安定”"一般的"であればあるほど、

家族や友人から非難され、あるいは応援されない、質問攻め、変わった奴扱いされる、、、等々

立場ある仕事を急にやめると混乱もきたすし、

家族の形態を変えようとすると誰かを大きく傷つけることにもなる。

 

後片付けも必要だし、自分も返り血を浴びるし、

そもそも築き上げたものが一時的にゼロになるわけで、

短期的には本当に良いことがない。

自分で決めたのに、ぼろぼろor大きなショックを受けやすい。

 

 

そんな、離婚を経験した友人と(パートナーは女神のような人だったらしい)、

抜擢してもらったマネージャーを急に辞めてついでに人里離れて移住して長いこと無職をやっていた私の経験を

混ぜながら、思うこと。あんまり参考にならないかも。

 

・変化は急であればあるほど周りがびっくりする

夫婦だと、昨日まで仲良かったよね?とか、マネージャーでも昨日まで採用面接やっていたよね?みたいな感じだと、周りはまさに青天の霹靂的な気持ちになる

 

→これはもう仕方ない。だってこちとてきっかけは急にくるので。

それっぽい納得性のあるストーリーを話したところで向こうは納得しないし、ひたすら平身低頭もこちらの体に悪い。

できることがあるとすれば、非難轟々から早く逃げた方がいい。最低限そのプランだけ事前に練ってもう逃げ切る。自分も相手も悪くない。でも一緒にいると体に悪い。

 

 

・急な変化/CRISISのあとには、深く落ち込んだり慣れたりまたぶり返したりいくつかのフェーズがある。

→やっぱり誰かを傷つけたり、場の混乱をうんだりすると自分も傷つく。自分の決断を尊重されないのは、本当に傷つく。もう離れて癒し期間をとるしかない。

意外と、つかず離れず、数年に一度ぐらいの距離の人のほうが「へーっ」って聞いてくれる。

あとはよく寝て食べて好きなことだけして"普通"状態が回復するのを待つ。

 

ぶり返すときには誰かに話を聞いてもらう。

傷は1-2年、長いともっとかかることもある。

 

 

・仲間を探す

 

→これは友人も私もできなかったけど、今思えば似たような仲間をさがせばよかった。

何もコンタクトとって友達にならなくても、

ネット上でああ、、このひと近しいわとかあれば慰めにはなったかもしれない。

ふかーくてひろーい孤独が一瞬ぐらいはいえたかもしれない。

 

 

・次にいくためには、長い時間が必要だと知っておく。

 

→これは私のむかーしの経験で、5年間つきあったひとと別れたあと7年ぐらいパートナーをつくる気にならなかった。

2年前に会社を辞めて、「実際に事業を考える」まで気づいたら2年もたっていた。

人によるけど、個人的には、起こった出来事を咀嚼する時間が必要なんじゃないかなと思う。

私は会社を辞めて1年間、「努力してきたことに傷ついている」状態にあった。

今でも、「やらなきゃいけない」と思うことがあると胸が苦しくなる。

トラウマは、やっぱり簡単にはいえない。

 

 

・でもやっぱり時間が解決する

 

→独立して1年目は親も不安そうだったけど今となっては「楽しくやってくれ」状態だし、移住も「いいね」みたいな感じになっているし、自分なりの「楽しく働く」をまた探しにいこうとしている。

 

離婚した友人は今かなりいきいきしていて(パートナーとお別れしたからではなく、それによって新しい生活を余儀なくされ結果的に自分らしい人生を模索した)、

私も本当にいろんなちゃぶ台をひっくり返して良かったなと思っている。

もちろん失ったものを懐かしく思うときもあるけど、後悔はしていない。

私が辞めたマネージャーを、そのあとに部下だったひとがなって、今ではその当時の私より出世したらしい。

座りたい人が座りたい椅子に座れば良いんだと思う。

 

 

あとから見れば大したことのない一歩も、当事者としてはもう崖から飛び降りるような、退路を断つような、そんな決断が人生にあったときに

寄り添える仕組みがあったらいいよねと話してた。

 

仕組みなんかなくても家族・友達の挑戦とキャラ変は見守ることのできる自分でありたい。