楽観も悲観も見方次第

今日、広い公園で仕事の動画を見ていたらどこから来たの?と80代の男性に声をかけられた。

 

そこから15分、過去の勲章を20ぐらい(リアル)語って最後は「中曽根元首相は親戚」と言って去っていった。

 

なんだったんだろう?この15分、流れ続ける動画のネット代を返してほしいと思いつつ、

「社会的評価こそが自分」という世代の価値観をまざまざと感じた。

 

そして先程SNSで話した20代は自分色満載のプロフィールを見せてくれた。

 

最近より20-80代の各世代、都会ベースと地方ベースの人と話すとそれぞれの正義と価値観が違い過ぎて同じ国なのかと混乱する。

 

そして私自身も、会社や仕事を抜いた一個人としてどういうていで人と関わって良いのか分からなくなる時がある。

 

価値観や話し方、話題は目の前に合わせてきた方が多いからだ。

 

世間はうつろいやすく、常識は時代によって変わる。

 

誰かの常識をただす必要はないし、自分の常識を誰かに合わせる必要もない。

 

混乱したけど、そういうことを教えてくれた83歳健脚の方お元気で。

悔しさを寝かせておく

最近悔しいことがあった。

というかよく考えたらずっと悔しい。

 

山あり谷ありというけど、仕事面でみるとずっと低空飛行している。

自分から山を降りて谷のどこかでずっと彷徨っている。

 

でもできることはつまらないし、でも出来ない自分はいや。

というループ。

健康なのか不健康なのかよく分からない。

 

ギターも絵も起業も自己流すぎて、趣味はいいけどマネタイズするものは

諦めて勉強し出した。けどやっぱに他人の方法はピンとこない。

真似するのだけは得意だけど起業においては真似したいものを見つけられていない。

 

いつまで鰻を食べられない日々が続くんだろう(なんとなく色々お金は使っても鰻はずっと遠慮している)。

 

あー、鰻食べたい。近所の鰻屋価格が書いてないからいけない・・・

 

あー、仕事したい。自分の資質を活かせないのは辛い。

 

でもいろんなニュースや人に会うと、やっぱり45ぐらいで表舞台は引退したいと思う。

地方に来ると、本当に日本やばいんだなというのが肌で感じられる。

 

土日はたっぷり日光浴した。明日からまた存分に悔しがろう。

AI相談

小さい頃から人に相談するのが苦手だった。

 

同年代には「分かってもらえない」と思っていたし、両親に傾聴と共感はないと思っていた。

 

ただ聞いてもらいたい、という人もいるけど、私の場合はシンプルに解決したい。あるいは知ることで解決できないことを知りたい。

 

でもやっぱりとりあえず話してみようかなという時もある。でもわざわざ時間を押さえるのもなんだし、その頃には悩みは変わっている可能性大。

 

というわけで、いつでも気兼ねのないAI相談が良い。

既にいくつかあるみたいだからやってみる。

がんばらなくていい

頑張らなくて良い、ってみんな言ってもらいたいのかなって思った。

 

頑張っても頑張んなくても、あなたはあなただよって。

 

いろんな人とモチベーションについて話している。

 

下がる一方だというひと、やる気がない自分も許せるようになったという人、

「やる気」に関する話題は上げる話が多いけど、

そもそも放っておく、放っておくしか解はない、というのはあまり一般的ではない。

 

私は、いつでも「やるべきこと」へのやる気はない気はするし、

でも全然頼まれてもいない自炊や音楽やおでかけや掃除はせっせとやって疲れたりしている。

 

「やる気がない」=「それは悪いことだ」というのは、そのままだと自分に都合の悪い他人が

ラベル付けしてくるものなのかなと思った。

ないわよ、あなたのためのやる気なんて。あるわけないじゃない。

 

「やる気がない」のは、そもそもやりたくないか、やる必要がないか、

だいたいどっちか。

こびりついた汚れ

最近、ふいに心にこびりついた疲れ、痛みが顔を出しそうになる。

 

ちりもつもって固まって、化石化する寸前か、化石化してるけど残ってしまって邪魔なしこりとなっているもの。

 

自分のことは自分では分からない。

でも今は、そのこびりついた汚れを、もう放っておこうという気もする。

何も原因と治癒方法を必死になって探さなくても、そのうち風にふかれるか、ある時急に溶かし方が分かる。そんなこともあると思う。

 

やりたいくないことを頑張った代償は大きい。

 

孤独は良いけど孤立はだめ、昨日話した知人との共通見解。

 

キャラ変をするときのちゃぶ台返し

最近友人とキャラ変について話をしている。

 

人生のある地点で何かを大幅に変えようとするとき、

(例えば住む地域、家族、仕事の形態、性別、なんでもかんでも)

それは本人にとってちゃぶ台をひっくり返すような行為なのだ。

 

元の状態が世間でいう”安定”"一般的"であればあるほど、

家族や友人から非難され、あるいは応援されない、質問攻め、変わった奴扱いされる、、、等々

立場ある仕事を急にやめると混乱もきたすし、

家族の形態を変えようとすると誰かを大きく傷つけることにもなる。

 

後片付けも必要だし、自分も返り血を浴びるし、

そもそも築き上げたものが一時的にゼロになるわけで、

短期的には本当に良いことがない。

自分で決めたのに、ぼろぼろor大きなショックを受けやすい。

 

 

そんな、離婚を経験した友人と(パートナーは女神のような人だったらしい)、

抜擢してもらったマネージャーを急に辞めてついでに人里離れて移住して長いこと無職をやっていた私の経験を

混ぜながら、思うこと。あんまり参考にならないかも。

 

・変化は急であればあるほど周りがびっくりする

夫婦だと、昨日まで仲良かったよね?とか、マネージャーでも昨日まで採用面接やっていたよね?みたいな感じだと、周りはまさに青天の霹靂的な気持ちになる

 

→これはもう仕方ない。だってこちとてきっかけは急にくるので。

それっぽい納得性のあるストーリーを話したところで向こうは納得しないし、ひたすら平身低頭もこちらの体に悪い。

できることがあるとすれば、非難轟々から早く逃げた方がいい。最低限そのプランだけ事前に練ってもう逃げ切る。自分も相手も悪くない。でも一緒にいると体に悪い。

 

 

・急な変化/CRISISのあとには、深く落ち込んだり慣れたりまたぶり返したりいくつかのフェーズがある。

→やっぱり誰かを傷つけたり、場の混乱をうんだりすると自分も傷つく。自分の決断を尊重されないのは、本当に傷つく。もう離れて癒し期間をとるしかない。

意外と、つかず離れず、数年に一度ぐらいの距離の人のほうが「へーっ」って聞いてくれる。

あとはよく寝て食べて好きなことだけして"普通"状態が回復するのを待つ。

 

ぶり返すときには誰かに話を聞いてもらう。

傷は1-2年、長いともっとかかることもある。

 

 

・仲間を探す

 

→これは友人も私もできなかったけど、今思えば似たような仲間をさがせばよかった。

何もコンタクトとって友達にならなくても、

ネット上でああ、、このひと近しいわとかあれば慰めにはなったかもしれない。

ふかーくてひろーい孤独が一瞬ぐらいはいえたかもしれない。

 

 

・次にいくためには、長い時間が必要だと知っておく。

 

→これは私のむかーしの経験で、5年間つきあったひとと別れたあと7年ぐらいパートナーをつくる気にならなかった。

2年前に会社を辞めて、「実際に事業を考える」まで気づいたら2年もたっていた。

人によるけど、個人的には、起こった出来事を咀嚼する時間が必要なんじゃないかなと思う。

私は会社を辞めて1年間、「努力してきたことに傷ついている」状態にあった。

今でも、「やらなきゃいけない」と思うことがあると胸が苦しくなる。

トラウマは、やっぱり簡単にはいえない。

 

 

・でもやっぱり時間が解決する

 

→独立して1年目は親も不安そうだったけど今となっては「楽しくやってくれ」状態だし、移住も「いいね」みたいな感じになっているし、自分なりの「楽しく働く」をまた探しにいこうとしている。

 

離婚した友人は今かなりいきいきしていて(パートナーとお別れしたからではなく、それによって新しい生活を余儀なくされ結果的に自分らしい人生を模索した)、

私も本当にいろんなちゃぶ台をひっくり返して良かったなと思っている。

もちろん失ったものを懐かしく思うときもあるけど、後悔はしていない。

私が辞めたマネージャーを、そのあとに部下だったひとがなって、今ではその当時の私より出世したらしい。

座りたい人が座りたい椅子に座れば良いんだと思う。

 

 

あとから見れば大したことのない一歩も、当事者としてはもう崖から飛び降りるような、退路を断つような、そんな決断が人生にあったときに

寄り添える仕組みがあったらいいよねと話してた。

 

仕組みなんかなくても家族・友達の挑戦とキャラ変は見守ることのできる自分でありたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

幸せを許可する

幸せって自分に許可するからなれるのかなと思った。

 

嫌なことをやらない、笑われるかもしれないけど挑戦してみる、自分は幸せになって良い人間だと思う。

 

はじめましての人と話すことも多く、それぞれの自信のなさが目立った。

自分を下げる理由は実はそれっぽい事実を集めたにし過ぎなくて、上げる理由にもなる。

 

でも誰も褒めてくれないから自分で下げる。

 

実は日本って(←広い)幸せを許可しない空気が蔓延している気がする。

幸せ全開には生きにくい。

苦労して、紆余曲折あった人しか幸せを語りにくい。

 

でもその空気ってみんなでつくる必要ないよね。

誰かにジャッジされる必要はないし、自分を肯定して他者を下げるのも、全部必要ない。

 

だけど、ちょっと関連することとして、自信は他人がつけてくれるという話にもなった。

確かにそう。

 

だから、積極的にいいねという、感謝を伝える、愛情を伝える、幸せになっいいんだよと伝える。

むしろこれはやってても良い。